2019年度ガールスカウト東京都連盟活動報告会 発表【広島平和派遣】
- 2020年03月16日
- 活動
【活動報告】広島平和派遣
ガールスカウト東京都第178団シニア部門 橘 周子
私は、今年度のガールスカウトの活動として「平和」について取り組みたいと考えていました。
そんな時、調布市が主催する“中学生広島平和派遣”を知り、応募しました。
“中学生広島平和派遣”の内容は、中学生が広島へ行き、原爆の被害を実際に見聞きし、それを多くの人に伝える「ピースメッセンジャー」になる、というものです。
私にとって、この平和派遣はとても重要なものでした。
2019年は終戦から数えて74年目にあたります。
時間が経つと共に、戦争を経験された方もお年を召され、お話を聞ける機会が少なくなっていきます。私たちが大人になるころにはもっと難しくなるのかもしれません。
自分自身が経験したことのない出来事の、ありのままの様子を実際に聞くことができるというのはとても貴重なことだと思います。
今回お話を拝聴したのは、当時の年齢が私たちに近い方でした。
お話を、今でしかわからない視点で聞くことができるかもしれないという思いもありました。
私は小学生の頃、長崎の原爆資料館を一度見学したことがあります。
その時は、展示されている写真や絵が怖く、しっかり見ることができませんでした。
しかし、歴史を勉強し、起きたことが理解できるようになり、もう一度見てみたいと思いました。
なぜなら、長崎の時資料を見られなかったのは、その写真がとても悲惨だったからであり、その悲惨な光景を作り出した戦争を二度と繰り返さないための展示物であることに気がついたからです。
今の平和な暮らしの前には、私たちが想像もできないことがあったのだと、もうあってはならないことだと思い、それを誰かに伝えたいという気持ちを持って広島へ行きました
それではこれから、広島での3日間の貴重な体験を報告します。どうぞお聴きください。
私が“中学生広島平和派遣”の「ピースメッセンジャー」に選ばれ、実際に広島へ行く前に「事前勉強会」というものがありました。
事前勉強会では、原爆の「語り部」の方のお話をうかがいました。
語り部の方のお話によると、当時は中学生もろくに勉強できず学徒動員で工場に行き、危険な作業をしていたそうです。
私たちも生まれる時代が違えばそうなっていたと考えると、これは私たちが今真剣に向き合わなくてはならない問題なのだと思いました。
その思いを抱えて広島に行き、最初に見学したのは原爆資料館でした。
様々な展示物の中に、遺品とそのエピソードがあり、それがとても記憶に残っています。原爆が落ちる直前まで、広島の人々は普通の生活を送っていたのです。
遺品の中には、10歳にもならない子どもたちのものもたくさんあり、ご両親の思いを考えると、やるせない気持ちになりました。
翌日、見学をしに行ったのは似島(にのしま)です。そもそも似島自体を知らなかった私は、被爆者がこの島に一万人以上も逃げてきたと聞き、とても驚きました。
そして、逃げてきた人々の看病をしたのは島にいた少年でした。
手記によると、たくさんの死体の処理など、辛い仕事もあったようです。
中学生がそんなことをする世の中は二度と来て欲しくないと強く思いました。
最終日、私たちは広島平和記念公園にある「原爆の子の像」に折り鶴を納めに行きました。
近づいてみると、そこにはすでにたくさんの鶴が納められており、平和に対する思いはみな一つなのだと感じました。
広島での3日間を通して、私はたくさんの遺構を見ました。
現在の広島の街並みはとても綺麗でしたが、74年前には信じられないようなことが起きていたのだと、二度と起こしてはならないのだと改めて感じることができました。
一度平穏が崩れてしまえば、自分も74年前の人々と同じ目にあうかもしれない、と、原爆や戦争の身近さを感じました。
そして同時に、この平和は私たちが支えていかないといけないものだ、ということを、ぜひ同世代の人にも理解して欲しいと思いました。
平和を考えることは、これから未来を創る私たちに必要なことだと思います。今後も活動を続けていきたいです。
最後に、今回私がこのような多くのことを学ぶことができたのは、両親や市の方々の支援あってのことです。
今後、私が平和を訴える活動に取り組むことによってお礼できたら、と思います。
本当にありがとうございました。
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